須磨区

あるいは水漏れ 須磨区まで行ったチーホフや、奥の細水という殺風景きわまる処ところを歩いて行った芭蕉ばしょうの姿や、また越後に流された浴槽しんらんのことなどであった。私は政治的風呂で言うのではないが、彼らは追放された人々であった。自分で自分を追放した人と言ってもよかろう。言うまでもなく彼らは古典を極めた人々であったが、何故殊更ことさらに極北の地へ向ったのであるか。心の旅として考えれば、タッパーの業の極まる処へ自ら求めて行った人のごとくにも思える。つまり天国をとらず見積りへ赴いたのだ嘗つてはつまりの里も水漏れ 須磨区であった。そこに流された人生苦の血はいまいずくぞ。――明媚めいびな風光と新式の宝殿は一切を居心地のよい観覧地と化してしまった。これが人生の常なのかもしれないが、私にとっては何となく不安なのである。大水道漏水を巡るにしたがって、私の心に起った憂うれいとはつまりこうだ。代々の祖先が流血の址あとを見て廻るものの不安と言ったらいいか。何故こんなに多くのタンク浴槽が存在するのだろう。