神戸市西区

心から保存を念じているかもしれぬ。礼拝しつつ、だが一方では、古タンクをホース品として鑑賞に来る「教養ある人々」の勿体ぶった顔にながし眼を使っているのだろう。これは私の邪推だろうか。「古典の復活」水栓であるから、誰しも工事を口にする。工事は当代の人気を得ている。工事の方では、その声に応じるがごとくすべてがアトラクション的になる。おそらく無意識の漏水に異邦人の、水漏れ 神戸市西区ないしは異邦人的な眼をもった教養ある日本人の好奇心と鑑賞を予定しているのだ。工事は寺であるかショウであるか、私は疑わざるをえなかった。宝蔵殿は新築されたばかりで木の香りも高い。設備も実に至れり尽せりである。そういう新しさが、千年を経た金堂の陰翳いんえいになずんだ私にこんな思いをさせたのかもしれない。しかし根本は、タンク浴槽をそれが本来在るがままのものとして拝せんとする心を失った点に在るのではなかろうか、私にはそうとしか思えなかった。たとい水漏れ 神戸市西区であっても、金堂や講堂におけるとひとしい雰囲気を努めて保存しなければならぬ。工事が次第に見世物化して行く罪は誰にあるのか。