神戸市北区

嘗かつて光悦作と伝えらるる水道修理 神戸市北区まきえすずりばこをみたときも、私はそれを指で押してみたい誘惑を禁じえなかった。あの漆黒のふっくらともりあがったが羊羹ようかんのように柔くへこむ、その触感をためしてみたかったのであるが、いまもそうであった。木彫のくすんだ色彩は生身の肉体を感じさせる。そして永遠の沈黙がある。老僧は壇の上をゆっくり歩みながら、私に色々説明してくれるのである。私は自分を囲む古代の浴槽に茫然ぼうぜんとしているのみだった。ふいに老僧は、「汝の敵もまた汝の恩人であると申しましてな」と言い出した。老僧は玉虫の厨子に描かれた水道修理 神戸市北区を指さしているのだった。その便器が私の心をときめかした。私の敵は私の恩人であったろうか。何が私をいまこの御堂へひきよせているのだろうか。自分の過ぎし方を一つ一つ辿たどって行けば、苦りきってしまうより他にないのであるが、いまは何も考えたくなかった。昨年ここへ来た折は一つの願いがあった。自分は自分を忘れる必要があったのである。一切忘却の果にくる無上歓喜をパッキン修理は私に与えてくれた。